【学び場は学校だけではない】トウモロコシから人生を学ぶ
ある日の晩飯、バランス良く食べることなどしない僕は途中で気付く。
トウモロコシが残っていることに。
いつもであれば何事もなくかじって食べていくのですが、ふと思った。
1粒ずつ食べていったらどうなるんだろう?
《どんな世界が見えるんだろうか》と
トウモロコシを1粒ずつ食す
通称:トウモロコシ
別名:玉蜀黍
1本当たりの粒数は個体差により大きく変わり、トウモロコシの粒の数は必ず偶数? 数えてみたの強者によれば、
640粒あったとのこと。
640粒あるとすれば、1粒1粒ずつちぎりながら食べるなど、ゲスの極み。
しかしこの世で生きていると、見えてくるのは【断食】や【滝行】といった苦行の数々。
家でボーッと何もせずに居ればいいものをなぜか、休みの日に苦行を受けに行くのだろうか?
真性のマゾなんじゃなかろうか?640粒を1粒1粒ちぎっていけば、少しは悟りが開けるかも知れない…
そんなこんなで1粒ずつちぎりながら完食を目指していると、1粒ちぎるのに10秒ほどかかり、
思っていた通りに進まず、先ほど打ち立てた目標にも関わらず、やめようかと考えた。
《やろう!と目標を決めた時はやる気に満ち溢れているが、行動に移す段階になるとすぐになまける》
僕はいつもどんなことでも、挑戦する・続けることを立派な言い訳付きで避けてきた。
<1粒ずつちぎってトウモロコシを食べようがかじってトウモロコシを食べようが、時間が勿体無いだけで、
何も変わらないんだからかじって食べよう>と、使い慣れた言い訳で己を救おうとしたその時、
「私もやる。」と、嫁が諦めかけていた僕に声をかけた。
僕は「一緒にやってくれるの!?」と返事し、諦めかけていた怠け心が一気に吹き飛んだことを実感した。
これからは嫁のためにトウモロコシちぎりをする。
《自らのための行動は続かないが、誰かのための行動は続けられる》
2人で行うトウモロコシちぎりは本当に楽しかった。
本体から中々離れようとしない、厄介な粒があっても、嫁が「しつこいね、それ」と言うだけで、
ストレスが快楽物質(ドーパミン)に変換されていくことを感じた。
「2人してなにしてんだろ」と言いながら笑いあい、1粒1粒舌で味わう時間は幸せだった。
《夫婦円満の秘訣はトウモロコシちぎり。》このタイトルでブログを書こうと決めた瞬間
!?
裏切りである。
嫁はトウモロコシにかぶりついていた。
2人の共同作業はわずか数分程度で終わり、楽しかった時間なだけに僕には一瞬に感じた。
1人になった僕は再びちぎり出す。もうかじろうなんて思わない。
《裏切られてすぐ立ち直るのは難しいが、裏切られなければ進化もなかった》
僕は裏切られてからというものの、【早く】【綺麗に】【正確に】ちぎれる方法を試行錯誤し、
その結果、秘技回転ちぎりを取得した。その名の通りだ。
気付けば勝負は後半戦になっていた。
ここまでくると秘技回転ちぎりのスピード感が楽しくなってきて、他事を考える余裕さえ生まれてくる。
《一見、退屈そうに見えることにも見方を変えることができるのは人に与えられし特権》
※見方を変えるとはこのことではありません※
様々な出来事を繰り返すうち、気付けば残りの粒は3粒となっていた。
初めこそ膨大な数の前になすすべなく、立ちすくんでいたが、ここまでくると終えるのが少しだけ寂しい…
そんな気持ちになる。
そして僕は遂に全ての粒を1つずつちぎって食べることを終えた。
骨の髄まで味わい尽くされたトウモロコシは喜んでいた。
そして、味わい尽くした僕も喜んでいた。
ここまでくるのに苦労した者だけが味わえる幸せの時間を味わい、
「怠惰」を抑え込み「目標」を達成する人にのみ訪れる心が満ちる時間に浸った。
まとめ
「なんとも下らないことに時間を多く費やした」なんて気持ちは一切なかった。
なぜなら、1粒ずつちぎって味わいながら食べた方が、味や・会話など、その時の記憶が脳に残ったからだ。
そう、意味のある時間(記憶に残る時間)を過ごすことができたのだ。
いつものように食べていたらそんなことはあり得なかっただろう・・・。
僕がトウモロコシから学んだことは【日常生活で当たり前にこなしていることに少しの変化をつけることにより、
意味のある時間を過ごすことができるようになる。】だ
例えば、皿洗い中に制限時間を設ける、スポンジにつけた洗剤の量で何枚洗えるかカウントしてみるなどなど、
意味のある時間を過ごすには、何でもないことに対しても、脳を動かす必要がある。
そうでもしないと、人は心配・不安などの「未来」に焦点を当て、
「今」を集中することができなくなってしまうから。
目標を達成するために必至になることにより、心配・不安に焦点を当てずに済み気持ちが前向きになり、
充実した休みを得ることができます。
1度お試しください。
最後までお読み頂きありがとうございました。